20200229-02 富山/富岩運河環水公園まわり
富山後半。
ライブの後は近くにある富岩運河環水公園へ。
以前の富山旅行でも来たのだけど、その時はスケジュールの都合でゆっくり見ることができなかったので再訪問。この日は天気も良く、散歩する人やランニングする人などで賑わっていた。
やちょうもいるよ。かわいいね。
特徴的なのはこの2つの展望塔。中に入ることもできる。
屋上からは立山連峰が一望できる。
ちなみに下に見えているガラス張りの建物はスタバ。このロケーションから世界で一番美しい店舗と呼ばれている(いた?)らしい。毎度長蛇の列ができていて入る気にはならなかった。
展望塔の先にはよく見ると巨大な建物があって、これが富山県美術館。
公園に来た人を誘い込むようにもっと主張したデザインにすればいいのにと思ったが、これには理由があるらしい。
元々富山には別の場所に美術館があったものの、老朽化により時代に合わなくなってきたため引越しすることになった。検討の結果、環水公園のすぐそばに建てられることになったが、周囲の風景と調和するような外観を目指し、そのシルエットは公園や立山連峰とのレイアウトまで考慮して設計されているらしい。こういう地味で高尚なコンセプトは様々な干渉でブレていくものだけど、ここではしっかりと成立している。
まずは夕方になると閉まってしまう屋上施設へ。21世紀美術館や十和田市現代美術館じゃないけど、子供が遊べるスペースがある。敷居を低く見せることがこれからの美術館の命題なんだろうか。ただ、先に挙げたものと比べるとアート感は無くて純粋な遊具といった感じ。屋上に遊具を用意して人が来るのだろうかと疑問だったけれど、なかなか賑わっていた。
ひそひそ
あれあれ
ぷりぷり
屋内は3階に分かれて展示室があり、その間を絡み付けるようにスロープで繋がれている。前面には縦に長い施設ならではの印象的な吹き抜けがある。
展示については原美術館の個展も素晴らしかった森村泰昌の企画展を楽しみにしてたんだけど、実は開催日は一週間後だったらしく、常設展しか見れなかった。ここのコレクションかなり変わっていて、「アートとデザインを繋ぐ」をコンセプトにするだけあって椅子を収集しているという。
実際に座ることもできて、一度体験したいと思っていたアルネ・ヤコブセンのエッグチェアがあった!かわいい!
富山県美術館は大体こんな感じ。地方の美術館としては建築も面白くて十分なんだけど、お隣の21世紀美術館と比べるとコンテンツ不足が若干気になってしまった。あそこはホワイトボックスの数が多くて、企画展と常設展とは別に並行でギャラリーサイズの展示が複数あったりするし。ただ環水公園にはライブができるような小劇場やプロムナードもあって、この周辺一帯で一つの文化スペースとして見たほうがいいのかもしれない。
良い時間になってきたので、あいの風とやま鉄道で1時間かけて金沢へ移動。
適当に探した店で寿司を食べるなどしてホテルへ。金沢は鈴木大拙館が一番の目当てだったのだけど、コロナウイルスの影響で市内の美術館が一斉に閉館されたことをこのタイミングで知ることに。覚悟はしていたから驚きこそないものの流石に堪える…。明日の予定を大幅に再計画してひとまず就寝。
20200229-01 富山/ありか
この日は以前から楽しみにしていた島地保武と環ROYのライブを見に富山へ行った。世間はコロナウイルスの影響でイベントが次々に中止になっていく真っ最中で、おそらく中止になるだろうなと半ば諦めていたところまさかの決行。かなり迷ったが、むしろ時期的にこれが外出できる最後のチャンスだろうなと行ってみることにした。
富山は以前にも来たことがあるけど、散歩しているとポケモンに出てきそうな街だなぁといつも思う。
遠くには立山連峰が見えれど富山駅周辺は綺麗なまっ平。南側は雑多に賑わっているのに対して、北側はイベントホール、体育館、公園などの市民スペースが集まってるなど役割がはっきりと分かれていて、これを南北に伸びる路面電車が繋いでいる。新幹線の開通に合わせて開発されたのか、歴史については知らないけれど、わざとらしさを感じるくらい綺麗に整備されていてそのニュータウン的な光景にどきりとする。この日は地下通路の一部が封鎖されていたりしてさらにポケモン感が増していた。
ライブ会場のオーバードホールもやはり駅の北側にあった。
ありか(島地保武×環ROY)
『ありか』は元々2017年頃に行われたダンサーの島地保武とラッパーの環ROYのライブパフォーマンス。見ることができなかったのを悔やんでいたところ、富山での再演が決まり大歓喜でチケットを取った。自分は環ROYのファンなんだけどダンスとの相性は気になるところがあって、彼は『ゆめのあと』のMVに独特な佇まいの人間彫刻が立ち並ぶヴァンジ彫刻庭園美術館を使ってたりとラッパーの持つ身体性を自覚して扱っているふしがあった。なのでこの公演も面白い化学反応が起きるんじゃないかと期待していた。
ライブが始まってまず驚いたのは、ダンスとラップを混ぜたパフォーマンスってどんな物だろうと見に来たのに、島地保武と環ROYが交互にラップとダンスを披露するスタイルで始まったこと。環ROYのライブは過去に何度か見ているが、そこでやっていた一人で永遠とフリースタイルをするパフォーマンスをそのまま披露していた。二人が絡むパフォーマンスも勿論あるのだけど、DJブースに齧り付いて曲を流す環ROYを島地保武が引き剥がしたりとなぜか対立する構図になっている。それも演技の一部として魅せるようにやっているというより、なんだか弛緩した感じがする。また、全身の筋肉を器用に使いながら動き続ける島地保武と比較して、門外漢である環ROYが視覚的な面白さを要求してくる広い舞台の中で存在感が薄れていくことに「大丈夫かこれ…」と、このときは不安になった。
ライブが進行していくと徐々に連携が取れていくが、それでも決定的に面白いパフォーマンスというのは見せず、実験的なやり取りが進んでいく。そしてとあるシーンで環ROYが「違う!」と叫ぶところで、ようやく自分なりに筋が通った気がした。
恐らく本当はラップとダンスがより噛み合ったように見える完成度の高いパフォーマンスをすることも可能だったのだと思う。どちらもリズムに基づいて実施できるという共通点があるので、同期させるのは決して難しくないはず。しかし、この公演では安易な着地点を出したりせず、ラップとダンスは全く異なるものなんだと真摯に捉えて、混ざり合う場所を思索する姿そのものを見せようとしているのだと自分は解釈した。例えばパフォーマンスの中で環ROYが「吸う、吐く」と唱えながらダンスをする場面があるけど、これは呼吸からリズムという概念が生まれてそこからダンスとラップが枝分かれするように現れたんじゃないかという起源まで遡って共通点を探っていたんじゃないかと思う。
まあ実際はコンテンポラリーダンスが分かる人には全編見どころだらけだったのかもしれない。ただこの解釈なら前半の弛緩した対立もお互いの違いを認めるためのシークエンスとして捉えることができ、異なる文化への敬意に満ちた幸福な空間だと感じられた。最後には『exchange//everything』を元にした明確なリズムのあるパフォーマンスで締められたけど、この時にはもっと長く対話的なパフォーマンスを見ていたかったなと思えるようになっていた。
最終的には大満足でした。富山まで来てよかった。
この後は会場付近にある富岩運河環水公園へ行ったんだけど、長くなったので続きは別の記事へ。
20200223
二重のまち/交代地のうたを編む
恵比寿映像祭もとうとう最終日。『二重のまち/交代地のうたを編む』を見に行った。
この映画にはベースとなった『二重のまち』というテキスト作品があり、以前横浜トリエンナーレで見たことがあった。これは東日本大震災の被害を受けた陸前高田をモデルにした物語で、かつての大波によって更地になった土地の上につくられた新しいまちで暮らす人々の生活を描いたもの。この作品のことを覚えていたのは、震災という難しいテーマに対して、寓話性の高い物語をつくるという珍しいアプローチが印象に残っていたから。あくまで架空の世界の話になっていて、新しいまちで暮らす2031年の人々がトンネルを通ってかつてのまちに訪れる場面などがある。
震災の話って無視できないし忘れるべきでないんだけど、情報を集めていると「被災しなかった人間がこんなことで分かった気になってはいけないんじゃないか」という気持ちの壁にぶつかって先に進まなくなるという現象がある。利己的な感想で怒られるかもしれないけど、『二重のまち』の寓話性の高い物語はそういう壁を越えて伝搬することができるという力があると思う。
(震災と非被災者との関係をテーマにした作品と言えば、ヒッキーPが素晴らしい曲を出しているのを思い出した)
話が逸れた。この映画は『二重のまち』に連なる作品で、公募によって集められた被災者でない4人のメンバーに陸前高田に訪れてもらい、そこで聞いたエピソードを元に新しい物語を制作するワークショップの様子を撮影したもの。当然いまの陸前高田の光景が映される訳だけど、平らな土地にポツポツと新しすぎる建物が点在する光景はインパクトがある。ワークショップの記録映像という趣が強く劇映画的な展開は排されているが、最後に物語をつくる作業をしていた参加者たちが「分かった気になってそんなことをしていいのか」と語りだす場面は、やはりそこで壁があるのかと思わされた。
これは余談だけど、本作でやたら印象に残るのが焼肉で、4人の参加者は別々の人へインタビューに行くのに、そのうちの2組が焼肉をしながら話を聞くことになるのはちょっと笑いそうになってしまった。若者に肉を食べさせたいおじさん・おばさんの気持ちは全国共通なのだ…。
映画を見た後は思い残しが無いように恵比寿映像祭の展示を回った。これまで時間がなくてスルーしていた、木にぶら下がるナマケモノの様子を観察するだけの実験映画とか見たぞ!床に置かれたクッションで寝ながら見れるんだけど、隣のおっさんがいびきをかいていてうるさかった。
五月女哲平「our time」
五月女哲平の個展が始まっているのを思い出して青山|目黒へ。東京都写真美術館からは徒歩30分程度だったので、住宅街の合間を縫って歩いて行った。
会場は3箇所に分かれているので続きはまた今度。
20200215
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入場すると一番の目当てだったフランソワ・パフェの音響彫刻がいきなりお出迎え。ちょうかっこいい!
予約していたDOMMUNEの宇川直宏による『NO BREATH/EXPO70 EDITION』。
宇川直宏が制作した曲を聞きながらシンクロして動くマッサージ機に癒されようというもの。これを見て最初に連想したのは水口哲也のシナスタジアスーツだった。自分も体験会に参加して着たことがあったけど、あれは振動コントローラーの延長線上にあるアプローチで、プレイヤーの操作に対するフィードバックを全身で感じようというものだった。これと比べると「NO BREATH」は音楽とのシンクロ感はまるでなかったりするんだけど、現代音楽をコラージュしたヤバい楽曲を聞きながら無重力マッサージされるのは気持ち良くも危険な領域に落ちていくようなスリリングな体験があった。
20200211
ECTO
連日ながら東京都写真美術館へ。今日は展示ではなく『ECTO』の上映を見に来た。『ECTO』は劇伴を弦楽アンサンブルによる生演奏で行うという特殊な上映形態の作品、と説明すると何だかオシャレだが、トレーラーを見ると分かる通りその実態はゲテモノ系ホラー映画。
この映画では、黒沢清の『岸辺の旅』みたいに生者と死者が明確に区別されずに画面に登場する。しかし、一度調子が悪くなるとデヴィッド・オライリーのアニメーションみたいにグリッチが発生したり、露骨にグリーンバック合成された姿で宙に浮いたりその場ランニングをかましたりする。普段は音楽家をしている渡邊琢磨監督が初期衝動のまま好きなように撮っていて、見ているこっちまで楽しくなってしまう。
しかし劇伴の演出は真面目に面白い。無声映画のように全ての音楽を生演奏するのと違い、スクリーン側からもノイズのようなアンビエント曲が鳴っていて、これが弦楽隊の演奏と共鳴するように聞こえるようになっている。ホラー映画で劇伴が鳴る場面と言えば当然幽霊が登場するシーンであり、つまりスクリーンの内と外の音が共鳴することが異界の存在と邂逅した事を強調する演出として機能している。
あくまで音楽ドリブンで映画を設計している辺りは流石だし、そもそも映像側の演出も好みだったので非常に満足した。来てよかった。
この後は『見た目カウンター』の時里氏のラウンジセッションと、その後の「正直」のライブを見て帰った。
↓ こんな感じ。
SHOJIKI “Play Back” Curing Tapes @St. Florian Monastery from TOKISATO mitsuru on Vimeo.
20200209
第12回恵比寿映像祭
恵比寿映像祭に行ってきた。
恵比寿映画祭、最初からキレッキレで素晴らしい pic.twitter.com/gh4mJ90EV4
— ノナメ (@snowtale_05) February 9, 2020
展示会は東京写真美術館の3階からスタート。が、魅力的な作品だらけで一向にこのフロアから出られないという。
特にスタン・ダグラスの『ドッペルゲンガー』という映像作品は素晴らしかった。2つのモニタを使った仕掛けがなされていて、自分の理解のためにも内容のメモを残しておく。解釈が間違っていたら申し訳ない。
見た目が全く同じな2つの惑星が存在し、その間をスワップするように2人の宇宙飛行士が瞬間移動を行う。モチーフとなった”量子もつれ”の現象のように、たどり着いた惑星で2人は全く異なる迎え方をされる。
左のモニタには転送前の自身の惑星、右のモニタには転送後の別の惑星が写されている。モニタは部屋の真ん中に配置されていて、鑑賞者がモニタの裏側へ移動してみると、そこには反転した映像が投影されている。そちらからは自身の惑星へ向かって別の惑星の宇宙飛行士が飛んでくる様子が見れるようになっている。映像が平面的なメディアであることを逆手にとって、モニタの表面と裏面に、設定上の2つの惑星をマッピングした形になっている。
この作品が凄いのは、テキストに起こすと難解な内容だけど、展示方法と話が綺麗に結びついているおかげで頭より先に身体で理解するような直感的な分かり易さがあること。会場の人たちのリアクションを見ても多くの人に初見で伝わっていたと思う。15分程度の映像作品だけど、良質なADVゲームを一本プレイしたような満足感があった。
作品の話からは外れるけど、メディアの特性と紐づけたSFをやるとき、映像は一番それができないジャンルだと思っていた。ゲームは分かり易くて、日本のADVを中心にメカニクスをストーリーに組み込んだ作品が大量に存在する。小説でもディックの『ユービック』辺りを読んでいると似たように感じることがあって、世界の認識を書き変える超能力が使われるくだりなんかは、本に文字で記されている内容がそのまま物語世界の真実になってしまう小説でやるからこそ面白いシーンだと思う。では映像はというと、現実には起こらないことをビジュアル化できるくらいで、メディアの特性を使ったと言えるものはあまり思い浮かばない。強いて言えば時間の表現で、例えば『インセプション』で深い階層に潜るほど時間の流れが遅くなるというギミックなんかはギリギリ映画特有だと言えるかもしれない。『ドッペルゲンガー』は特殊な上映形態故にこれが出来たけど、伝統的な一つの画面の中では何があるだろう。最近のMVでよくあるスマホの画面使ったみたいのはちょっと違う気がする。
脱線した。別日に映画上映のために再訪する予定なので、東京写真美術館での展示はあえて全て見ずに民間展示を周る。
ざっくりと東エリアと西エリアに分かれており、今回は東エリアをぐるっと周り恵比寿駅に向かうルートにした。
最も近い日仏会館にはダムタイプの新作がある。
冷たい風に凍えながら順々に…。
NADiff a/p/a/r/t は場所が分かりにくくて迷った。大通りから見えないところに隠れるように建っている。ここの蔵書のバリエーションは凄い。また来たい。
20200208
OTHER “Someones’s public and private / Something’s public and private”
表参道void+で蓮沼執太の個展。
以前ニューヨークの公園で実施されたインスタレーションを展示用に再構築したもの。公園に水の入った大量のボトルを配置して、参加者はボトルを動かしたり自宅へ持ち帰ることができた。
実際に配布されたものと思われるチラシ。
小さなギャラリー会場には、映像展示と共にボトルの衝突音を使ったアンビエント曲が流れていた。
もう一つのスペースにはインスタレーションの再現がある。勿論ボトルを動かしてOK。
このサイズのボトルを持ち帰るのは勇気がいりそう。実際にどれくらいの人が実践していたのか。
今日は渋谷で蓮沼執太と小山田圭吾のフリーライブもあったが、当然のように抽選漏れ。
イメージフォーラムで『プリズン・サークル』を見て帰った。